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誰も寝てはならぬ
『誰も寝てはならぬ』Nessun dorma
プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の中にある、オペラ史上最高の傑作。
昨日から連泊している京都のホテルオークラ岡崎別邸の部屋で、この曲を聴き続けている。この曲のサビの部分を、パバロッティの実演を年代順に延々と流す動画がyoutubeにアップされていて、それをずっと聴いているのだ。
何度聴いても、心がしびれる。
パバロッティの姿勢、視線、表情、しぐさ。
ラストにかけて、彼が全力を振り絞って腹の底から声を出すところ。
まだ演奏が続いているのに、聴衆が待ちきれずに拍手をし声を上げ始めるところ。その興奮が伝わってくる。
私はどんな名演奏を聴いても、「ブラボー!」と叫んだことはないが、こんな演奏を聴いたら思わずそう叫んでしまうだろう(ちなみに、スタンディングオベーションは二度ある。オペラ『フィガロの結婚』とバレンボイムのベートーヴェンのピアノソナタのときだ)。
もし私がオペラ歌手であれば、一生に一度でもこんな歌が歌えれば、もう死んでも良い、と思うような全身全霊を傾けた演奏である。指揮者もオーケストラもそれに応えるべく必死に伴奏している。三位一体の素晴らしい演奏だ。
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このホテルオークラ岡崎別邸は、文字通り岡崎にあるのだが、私は大学生のとき、この裏の黒谷寺の境内に住んでいた。オークラは3年前にできたので、そのころはなかった。神社だったと思う。
月額2.5万の安アパート。風呂ナシ、トイレは和式だった。風呂はないので、体育館で練習後にシャワーをしていた。冬はとっても寒かった。寒い日は、銭湯もよくいった。リュックには常にお風呂セットが入っていて、友人宅に行くといつもシャワーを借りていた。
とにかく貧乏で、死ぬほどダサかった。
あれから30年、あんたはオークラに泊まれるようになっとるよ、とあのときの私に言ってやりたい。
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「なんで京大の人ってそんなに京都に愛着を持っているんですか」と言われたことがある。
その人は東京出身で東京の大学を出ていて、さほどの愛着を感じないとのことだった。
この疑問に対しては、私は明確な回答を持っていて、それは「あと1年後(3か月、1週間など)にここを離れないといけないと思いながら過ごすから」。
東京の大学の学生は、おそらく卒業後は多くが東京勤務だろうし、東京外の大学も、そのまま地元に残るというケースが多いだろう。
就職時にその地域を離れる割合が最も大きいのが京都大学だと私は見ている。
私は(体育会系にしては珍しく)4年で卒業したので、京都を離れないといけないという思いは切実だった。
就職活動が終わったころから、徐々にあと8か月、とカウントダウンが心の中で始まった。試合に負けて部活を引退し、卒業試験を終え(やばかった)、卒業式。日々、京都で過ごす日が終わりに近づく。
最後の日は、一人で下宿を引き払い、荷物をまとめてバスに乗って京都駅に向かった。偶然、やはりその日に就職で東京に行く先輩とバスで出会い、一緒に新幹線に乗った。その先輩とは、その後10年以上の時を経てR社で巡り合うのだが、それはまた別の話。この最後の日の一連の流れを今でもよく覚えている。
この最後の感傷が、強烈な印象となって心に残るから、それが愛着となって現れるのだというのが、私の説である。
ちなみに、私はその京都を離れる日のことをモチーフにした泣ける(嘘)エッセイも書いているのだが、こういう背景があるのだ。
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今日のお昼は、20年ぶりに会う人をオークラにお呼びして、フレンチ会食で接待。
今夜は、農学部前のカフェ・コレクションに歩いて行って、ソウルフードである「鳥皮のバターライス」を食べた。
京大の構内を歩いたのだが、30年経っても、京大生は男ばかりで、みな自転車に乗っていて、そしてあのころのまま超ダサかった。
卒業後は女性関係で苦労するだろうな。
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パバロッティは、『誰も寝てはならぬ』の最後に、vincerò!!と何度も歌う。
vinceròとは、イタリア語で「私は勝つ」という意味である。無論オペラなので、そのストーリーがあって「私は勝つ」と言っているのであるが、ここでは自分の過酷な運命に打ち勝つという意味で理解したい。
思えば、いろんな過酷な運命と巡り合ってきたが、なんとかやり過ごしてここにたどり着いた。
昭和の名棋士である升田幸三は、「たどり来て、未だ山麓」という名言を残している。今朝、ホテルのそばを歩いていたら、この岡崎からも大文字山が見えた。未だ山麓のつもりでこれからも行きたい。



