なぜ秦の始皇帝は天下を統一できたのか
なぜ秦の始皇帝は天下を統一できたのか。
春秋戦国時代は紀元前800年あたりから600年ほど続きました。
その間、いくつかの国が強盛を極めたものの、どれも長続きすることなく、数十年の栄華で終わってしまっていました。
秦はそれを統一することができました。
秦も、長い歴史の中で、他の国と同様に、私利私欲を追求する宦官が政治に嘴を挟んだり、傾国の美女が現れて君主を惑わしたりして、継続して国を強化することができませんでした。
春秋戦国時代の外交においては、美女を数十人も敵国の君主に贈ることで、敵国の弱体化を図るという戦略も行われていたようです。考えるだけでワクワクします。
富国強兵を達成するために秦が考えたことは、適材適所でした。現代社会に至るまで当たり前のことです。
ただし、有能な人材の抜擢は簡単にできますが、そうではない人材の排除は難しいのが世の常です。
実績を収めた人材が、大臣や将軍になるのはどの国でも同じでしたが、その子供たちが自動的に地位を継ぐのを防ぐことはできませんでした。
そりゃそうです。大臣や将軍は権限がありますから、自分の息子を枢要な地位につけることぐらいはできてしまいます。
これが門閥化を招きます。器ではない人物が、要職を占めてしまいます。
そこで、秦は、爵位というものを導入します。侯爵とか伯爵とかです。
実績を上げた人材には、爵位を渡して、名誉と財産を与えます。しかし地位は与えません。
これにより、有能な人材の息子たちが、無条件で大臣や将軍などの地位につくことを防ぎました。
結果として、適材適所を達成しました。
この制度を導入してから約100年後に、秦は天下を統一することになります。
秦の始皇帝は、こういった制度の上に乗っかって、天下統一を果たしたと言えるでしょう。
事業承継に悩む多くのオーナー企業にとって非常に示唆に富む寓話です。
近代日本における似たような事例は、大名の息子が大名でなくなる廃藩置県でしょう。
薩長連合→大政奉還→戊辰戦争→版籍奉還→廃藩置県という一連の施策は、まるで名人の棋譜を見るようです。
幕末の志士や明治初期の為政者たちは、まさに身命を賭して、これらの仕事を成し遂げました。
明治維新から150年、我々は親の社会的地位とはほぼ無関係に学校も職業も選べます。起業もできます。
ヤル気と能力と健康さえあれば、自分の夢を実現できる社会です。
若くして死んでいった幕末の志士たちから見れば、桃源郷のような社会でしょう。
歴史を勉強するたびに、志士たちから「お前ら、もっとやりたいことやれよ!勝負しろよ!」と言われているような気がします。