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5回も落城した城をご存知ですか。

5回も落城した城をご存知ですか。

我々が知っているレベルの相応規模の城は、めったに落ちません。

江戸城・名古屋城・姫路城などは落ちたことはありません。そもそも攻められたこともありません。

熊本城も落ちたことはありません。戦国から遥か後期の明治期の西南戦争で攻められましたが、落ちませんでした。近代兵器をもってしても落ちなかった堅城です。

大阪城は冬の陣夏の陣で落ちました。小田原城は秀吉に攻められて落ちました。いずれも一度だけです。

巨大な城を構えている時点で、そもそも強大な勢力を持っているわけだから、攻め込もうと思う敵もいません。

大きな城は滅多に落ちない。落ちたとしても一度だけである、と言えます。

しかし、歴史上5回も落城した城があります。それも、天下の名城です。

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それは、岐阜城です。

斎藤道三が築城し、織田信長が拡張した城で、峻嶮な金華山の上にそびえたつ巨大な城です。どう考えても落ちにくい堅城のはずですが、これがまた不思議なほどにコロコロと落ちます。

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①斎藤竜興vs竹中半兵衛

有名な家臣16名を使っての造反劇です。主君を諫めるため、という説もありますが、立派なクーデターです。

②斎藤竜興vs織田信長

信長の天下布武の第一歩となった城攻め。このときに、「岐阜」という地名になりました。

③本能寺の変の直後

留守居役だった斎藤利堯がそのまま占領しました。落城という表現が正しいかどうかわかりませんが、本稿では一回と数えます。

④織田信孝vs織田信雄

賤ヶ岳の戦いの直後、秀吉に使嗾された織田信雄により包囲され、落城しました。

⑤織田秀信vs福島正則・池田輝政ら

関ケ原の戦いの前哨戦。織田秀信の側近が数十人になるまで戦った激戦でしたが、わずか一日で落城し、石田三成は後手に回ることになりました。

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何度も落ちた岐阜城ですが、取り壊されることなく何度も復旧された理由は、その抜群の立地条件にあります。なんといっても日本の中心地にあるので、天下を左右するような大戦さの舞台になっています。

落城する原因として、今回調べて分かったのが、実は井戸を掘っても水がでない構造にあり、大軍を籠城させることができなかったということです。政治・軍事上の理由ばかり考えていましたが、そんな物理的な要因も知ることができました。

面白いですね。一つ賢くなりました。