「東京に大雪が降ると事件が起きる。」
「東京に大雪が降ると事件が起きる。」
私のような日本史マニアにはたまらないエピソードです。
①忠臣蔵
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、大石内蔵助以下赤穂浪士47名が深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介を討った「赤穂事件」。
東京都心をウォーキングしていると、しばしば忠臣蔵由来の記念碑を見ます。四十七士は複数の藩邸に分けられて収容されたので、そのうちの一部がここにいた、という説明がなされています。ここで切腹した、というのを見たこともあります。
日本史マニアとしてはそんな記念碑を渉猟して歩くのも、都心ウォーキングの楽しみの一つです。
②桜田門外の変
安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外で水戸藩の脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」。
時の大老(今でいえば、総理大臣)が、江戸城前という都心において、行列という公式行事中に、衆人環視のもと暗殺されるという大事件です。関係者はトラウマになって一生立ち直れない傷になりそうです。
しばしば桜田門はウォーキングしますが、現在そこには警視庁があります。そんな大事件が起きたところに警察機能の中枢を置くセンスは抜群です。
③二・二六事件
1936年2月26日早朝、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げる陸軍の青年将校が1483名の兵を率いて決起した「二・二六事件」。反乱軍は首相官邸、政府首脳私邸、警察庁、新聞社を相次いで襲撃し、高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣らを殺害しました。
未来人の我々から見れば、昭和維新なんて起きるはずもないと思えますが、当時の陸軍の一部の人にとっては「起きうる事態」だったのでしょう。
明治維新のときも、大半の人にとっては「起きるわけがない事態」だったんだと思います。起きるはずのない事態を、逆に起こす側に回る人たちが、革命を起こし、その後日本を先進国に持っていきました。事件を起こした青年将校もそんなことを考えたに違いありません。
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そんなわけで、私は東京に大雪が降ると、何か起きるかもしれない、と身構えるようにしています。が、何も起きたことはありません。
ふと思い立って、大雪の記録を調べました。記録の残っている1875年以降の記録です(気象庁より)。
日付 積雪量
1 1883(明治16)年2月8日 46cm
2 1945(昭和20)年2月22日 38cm
3 1936(昭和11)年2月23日 36cm
4 1951(昭和26)年2月15日 33cm
5 1887(明治20)年1月18日 31cm
6 1969(昭和44)年3月12日 30cm
7 1954(昭和29)年1月25日 30cm
8 2014(平成26)年2月15日 27cm
9 1925(大正14)年1月30日 27cm
10 1892(明治25)年2月19日 25cm
一つ一つ、wikipediaで何が起きた日か調べましたが、特段何も起きていません。
当たり前ですね。調べて損しました。事件と雪には何ら因果関係はなく、単なる偶然です(襲撃に都合がよいという程度で、原因はもっと別の政治や怨恨にあります)。