蔵書を処分しました
蔵書を処分しました。
私は活字中毒で文学青年でした。それが嵩じ、大学受験では文学部志望でしたが、ある失敗とある成功が起き、経済学部に入りました(この話はまたいずれ)。その後いろいろあって今に至っています。
少年時代から活字中毒だった私にとって、蔵書の処分はかなりの思い切りでした。
かつて、高校の卒業、大学の卒業、結婚、転職と幾多の引っ越しのたびに、私の蔵書は処分される憂き目にあいました。結婚後は、「本棚はその家の知的レベルを表す」という信念を持つ私と、ただのコストとしか見ない妻の間で終わることのない争いを繰り広げてきました。なお、デジタルネイティブである息子たちは、この論点にまったく関心を示しません。
『竜馬がゆく』も『ノルウェイの森』も『深夜特急』も悉皆売りました(仕事で使う書籍は残しています)。
『竜馬がゆく』は小学生の時に親に買ってもらいました。その時の版は今でも実家にあります。子供のころにこの本にはまり、しばらく「やっちょる」などとエセ土佐弁をしゃべっていました。私の頭脳はこの本でできているといっても過言ではありません。社会人になってから、また読みたくなって古本屋で買いました。とても大事にしてきた本です。
『ノルウェイの森』は、高校3年で出会って以来、常に手元においてきました。幾多の引っ越しにも、この本だけは持っていこうと思って維持してきました。これまで、唯一涙を流しながら傍線を引きつつ読んだ本です。傍線を引いた箇所は今でも心に刻まれています。
『深夜特急』も過去手放しましたが、また買い戻しました。さらに、先日移動中にある一節が読みたくなり、電子書籍で大人買いをしました。アフガニスタンを移動しているときの、羊飼いの牧童に飼われている犬の話です。これはその後『一瞬の夏』でも引用された感動的なシーンです。わかる人にはわかるネタです。
『坂の上の雲』も同様の経緯を経てスマホに入りました。それからしばらく、至福の時を過ごすことができました。『大地の子』も『不毛地帯』も同様です。
そうです。
実は最近は書籍の購入は電子書籍にシフトしています。いろんなメリットがありますが、妻と無用な争いを生まないのが最大のメリットです。彼女は私のスマホにある巨悪を知りません。
どうしても読みたければ、電子書籍で買いなおせばよいのです。
蔵書を処分しました。
なぜ今、この身を切るような、そして自分の前半生を捨て去るような決断をしたのか。問題はそれです。
在宅ワークが増えたから、かつ今後もこの傾向は変わらないと思ったから、というのが単純な答えです。
在宅だと家の整理整頓が非常に気になります。外出できないので、部屋の掃除、整理整頓をしています。その過程で、これまで手を付けられなかった蔵書に手を付けました。これでかなり快適になりました。
在宅ワークが増えたからという回答は単純ですが、もう少し深い含意があります。
つまり、変化に対応する決意をしたということです。
ダーウィンは、「強い生物が生き残るのではない、賢い生物が生き残るのではない、変化に対応する生物が生き残る」と言いました。まさにその通りだと思います。
実は、この機にCDも手放しました。同時にオーディオセットも処分しました。
クラシック音楽マニアの私にとっては、蔵書の処分と同様、体の半分をどこかに持っていかれるような喪失感でした。
お陰で部屋は相当に広くなりました。これから余計なものを買わないこともあわせて決意しました。買うなら電子書籍で買います。
蔵書を処分しました。
ただの40代のおっさんが、ブックオフと自宅を複数回往復して、本を売っただけの話です。
しかしこれは大きな意思決定でした。このおじさんは、変化に対応します。下を向いているヒマはありません。顔をあげて、この変化に対応して生き残って見せます。やったるで。
ちなみに今聴いているのはゲスの極み乙女。PCからBluetoothでBOSEのスピーカーにつないでアマプラで聴いています。excitingです。ゲスの音楽の勢いに乗ってここまで書きました。
(多少不安を掻き立てるような書き方をしてしまったかもしれませんが、お陰様で多くのクライアントにご愛顧いただいており、この環境下でも売上げはほぼ維持できています。)